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ディレクター込山正徳の個人的ぼやき


by papanamida

投げ銭頂く「乞食」

前回、仕事にまつわることを記したので、別の面から追記したいと思います。

私は現在テレビの番組などを制作しながら、なんとかご飯を食べていますが、
本当に突き詰めて考えると、こんなことでご飯が食べていけるなんて奇跡的だと思うのです。

私たちの仕事は、あまりにも実際の生活に遠いからです。
例えば、食べ物を作ったり、運んだり売ったりするのは、人間が生きることを支える、
もっとも根源的な仕事でしょう。

そうゆう仕事に比べたら、我々の仕事は、本当の仕事とは言えない、
「お遊び」のようなものだと時々感じます。

原始社会で考えれば、米作りで一生懸命働いて疲れた人々の家を回って、
「面白いお話」を喋り、投げ銭を頂いているのと同じことです。
そう考えると、「乞食」とあまり変わらないではありませんか。

(注・私は「乞食」を差別的な意味で使っていません。歴史上、
   そうゆう生活されていた人々を指し示す言葉として、
   この言葉に代用できるものがないから使用しました。)

歌舞伎や芸能も源流を遡れば、食料の生産手段を持たない「河原乞食」が始めたことですし。

現代では、そのような文化芸能が、「百姓」よりも上の階級のように扱われているのは、
実は、おかしいことのようにも思います。

(注・私は「百姓」という言葉を差別的と捉えていません。
   百の仕事をこなす人という意味があるからです)

「芸能」はつまらなければ、お金を貰えない厳しい立場です。

もちろん私の関わっている「ドキュメンタリー」は「報道や広報」的な意義も含まれてはいますが、
「テレビ」というエンターテイメントのビックリ箱を通して送るとなると、
限りなく、享楽的要素を含めて届けるようになってしまうのです。
テレビのことを「電波芸者」と見下げた人もいたようですが、的を得た言葉ですね。

まあ、それでも、自分のできる範囲で「意味あるもの」を送り届けたいと思ってはいるのですが。

ほんとに皆さん、いつも「投げ銭」くださり、ありがとうごぜいます。
by papanamida | 2009-11-22 01:30