電子化の写真たち
2010年 05月 08日
って名曲「涙そうそう」の出だしですけれども、
家の中で、アルバムって場所をとりますよね。数十冊程度でも、置き場に困ります。
それならばと、古い写真を一枚一枚、全てスキャンしてデータ化してパソコンに入れちゃおうかなあ、と私は時々、考えています。
整理整頓も楽になりますよね。でもなかなか、実行せずに数年が過ぎてしまっています。なんとなく億劫で・・・。それともう一つ理由があります。
最近は、自分の画像でも、好きな曲でも、何でもかんでも「クラウド」と呼ばれる、
どこかの(自宅でない)ハードディスク(記憶装置)に保管することが出来るそうですね。
外出先でも、どこでもネットさえ繋がれば、いつでもそこからデータが取り出せるので、すごく便利なんですってね。
でもこうした発展した電子化の世の中で、ひとつ思うことがあるのですよ。
全てのものが、どんどん電子化していくということは、電気がないと、なんにも出来ないってことですよね。
見たい文章があっても、見たい写真があっても、地図が必要になっても、電気がないと無力。なんも出来ん。
自動販売機からジュースも出てこない。駅の改札も通れない。車も走らない。携帯ももちろん使えない。メールも出来ない。
それってちょいと怖くないですか。150年前の人は、ほとんどの人が「電気なし」で普通に生きていたのに。
現代人は、「電気なし」では生きられない。
まあ、将来、電力が供給されなくなることは、99パーセントありえないのだろうけど、
もし、「電力なし」で生活しなければならない状況がきたら、恐ろしいことこのうえない。
世の中、パニックに陥りますよね。
それで、話は戻りますが・・・。
アルバムの写真は、太陽の光があれば見られますが、データ化した写真は、電気がないと、どうやっても見られない。
だからね。昔の写真を全てデータ化しても、なんだか安心って感じがしないんですよ。
色あせていくフィルム写真を、がさばるけれど、手元に置いておきたいんですよね。
データでは、表わすことの出来ない手触りや質感、そして匂いなども、ある意味、写真の一部かも知れませんしね。
「古いアルバムをめくる」という風情のある行為が、「J-pegをクリックして」になったらちょっと味気ないですよね。
将来そんなんなったら、「涙そうそう」の情感溢れた歌詞は理解されなくなってしまうだろうなあ。
下のをポチッと押してください。
にほんブログ村
にほんブログ村