ディレクター込山正徳の個人的ぼやき


by papanamida

9年ぶりのタイに、20歳代の自分を見た。

ある番組の取材で、一週間 タイ に行ってきました。私にとって9年ぶりのタイ。なつかしーーい。涙出そうなほどなつかしい。
まずはバンコク到着。初めて降り立つスワンナプーム空港は新しくてきれい。
そこから最新型の電車で市内まで行くことができる。スゴイ発展したなあ。

市内の移動も高架の電車でスイスイラクラク。以前は排気ガスにまみれながら、オンボロバスで市内移動していたなあ。

バンコクといえばトゥクトゥクというオート三輪のタクシー。
渋滞の中を縫うようにチョコマカと這い回る。これがなかなか危なっかしくて楽しい。活気あるバンコクの町を体感できる。
長男が5歳くらいの時、一緒に乗ったのを思い出す。目を輝かせて喜んでいたなあ。

a0134371_11224059.jpg
a0134371_11225450.jpg

バンコクの中心地は豪華で洗練された商業施設がいっぱい。
でも下町は雑然としていて昔とあまり変わらない。下町の中華街を散歩してみた。
銀行でなくて 「金行」 という金のお店がいくつもある。中国系の人たちは金で貯蓄しているのだ。
a0134371_11251929.jpg

中華街の近くに25年くらい前、しばしば宿泊した ジュライホテル がある。
コンクリート作りで6階建てくらい、オンボロで不潔だが 一泊800円 くらいでシャワー付きの部屋に泊まれた。

このジュライホテル、客の8割は日本人の貧乏旅行者。ここを拠点にインドやヨーロッパを目指す人たち。
旅慣れた人から情報を得るのにも便利だった。
「インドへビデオデッキを持ち込んで売れば、5万円になる。そうすれば一ヶ月は旅が出来るよ」
「ネパールのポカラからのヒマラヤの姿は最高」などなど。

20代の私はここで色々な日本人と知り合いになった。
ここで友達になり、 「チェンマイのジャングルトレッキングに行こう」 と意気投合、
一週間くらい行動を共にした人もいる。大阪から来た小林さん。二人でビールを飲みながら将来のことなどを語り合った。
といっても、私は将来のみえないフリーター。彼は医者を目指す学生だった。小林さんは今頃、立派な医者になっているに違いない。

当時、タイ北部を3泊4日でトレッキングした時の写真が家にあった。左が小林さん。真ん中が私。
そして少数民族の村人とイギリスから来たカップル。
a0134371_12542423.jpg


ジュライホテルには、麻薬におぼれ動けなくなった日本人など怪しいひとたちも多かった。
そうゆうヤバイ人たちを私たちは、 「バンコク沈没組」 と呼んでいた。
ホテルには、時々麻薬捜査で警察の手入れがあり日本人が数人捕まっていた。
麻薬売人が警察に密告しているのだ、というような噂も流れていた。

すぐそばには 北京飯店 という、ゴキブリが迎えてくれる「インチキ日本料理店」があった。
その壁には、 「カトマンズで行方不明の吉田さんをご存知の方、情報ください」
などと顔写真入りの張り紙が何枚か張ってあった。
アジア旅行の中継地点のバンコク。地球のどっかに消えた貧乏旅行者の足取りを追う切実さが滲み出ていた。

そして、当時の貧乏旅行者ご用達のジュライホテルが十年ほど前、閉鎖された。理由はわからない。

その跡地に今回、行ってみた。ホテルは大きな噴水公園の前に立つ。
当時はこの公園に夕涼みにくると麻薬常習者がうつろな目でうろうろしていた。

そして、驚いたことにジュライホテルの建物がまだ残っていた。
鉄格子の合間から、ホテルの内部、一階のフロントを撮影した。うわーー、なつかしい。中央がエレベーター。その右にフロントがあった。
a0134371_12571860.jpg

家には25年前、フロントの女性たちと撮影した写真があった。
a0134371_133552.jpg

この写真、当時貧乏旅行で、このホテルに泊まったことのある人なら、なつかしくてたまらないと思いますよ。
みんなマトモな大人になったかどうかは、わかりませんけどね。

当時、知り合いになった人、特にチェンマイからのトレッキングに一緒に行った小林さんに会いたいなあ。

下のをポチッと押して下さい。

にほんブログ村にほんブログ村 その他日記ブログ 愚痴・ぼやきへ
にほんブログ村
にほんブログ村 テレビブログ プロデューサー・ディレクターへ

[PR]
by papanamida | 2011-08-30 13:23